JA厚生連の事業案内

HISTORY
JA厚生事業の沿革(歴史)

 JAの厚生事業は、産業組合法(明治33年制定)のもと、大正8年11月に、窮乏する農村地域の無医地区の解消と低廉な医療供給を目的として、島根県鹿足郡青原村の信用購買販売生産組合が医療事業を兼営したのがはじまりです。その後、この運動は全国的に広がり、昭和23年、農協法のもとで厚生連が継承しました。

 また、昭和26年、「全国厚生農業協同組合連合会の会員である厚生農業協同組合連合会」は、医療法第31条に規定する公的医療機関の開設者として厚生大臣から指定を受けて、以来、特に農山村地域の保健・医療・高齢者福祉事業を積極的に推進し、地域に貢献しています。

大正8年(1919) 島根県青原村の産業組合が診療所を開設。産業組合の兼営による医療事業がはじまる。
昭和7年(1932) 賀川豊彦氏の社会思想をもとに、東京都に東京医療利用組合(単営)が結成される。
後に医療利用組合運動が全国的に広がる。
昭和22年(1947) 農業協同組合法が公布される。
昭和23年(1948) 農業協同組合法により、都道府県・郡単位に厚生連が、また、JA厚生事業の全国機関としてJA全厚連が設立される。当時の施設数は、病院169施設、診療所347施設であった。
昭和26年(1951) JA全厚連の会員である都道県郡厚生連が、医療法第31条に規定する公的医療機関の指定を受ける。
昭和45年(1970) 第12回全国農協大会で「生活基本構想」が打ち出され、JA、都道府県・全国の連合会からなるJAグループの取組みとして、健康管理活動が明確に位置付けられる。
昭和46年(1971) 群馬県を皮切りに、健康管理活動を専門的に行う厚生連の設立がはじまる。
昭和59年(1984) JA厚生連の行う医療保健業が法人税等非課税措置の適用を受ける。
平成7年(1995) 阪神・淡路大震災に際し災害救助支援活動を積極的に実施した結果、農林水産・厚生両大臣から感謝状を授与される。
平成10年(1998) JA厚生連の行う高齢者福祉事業が法人税等非課税措置の適用を受ける。
平成19年(2007) JA厚生連による特別養護老人ホームの直接設置が可能となる。
平成21年(2009) 公的病院(日本赤十字社、恩賜財団済生会、厚生連等)への助成に対する特別交付税措置が実現する。
平成23年(2011) 東日本大震災において、JA厚生連からもDMATや医療救護班を延べ3,000人派遣し、被災者の治療や看護、健康増進活動等を支援する。
平成29年(2017) JA全厚連、全国自治体病院協議会等5団体の参加による「地域医療を守る協議会」が発足する。
令和2年(2020) 厚生連病院が国内の新型コロナウイルス感染者(1例目)を受け入れる。
複数の厚生連病院にてクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の新型コロナウイルス感染症患者を受け入れる。
新型コロナウイルス感染症への対応として、多くの厚生連病院で帰国者・接触者外来の設置や、コロナ感染患者を受け入れる。
自治体やJAグループからの要請によりコロナワクチン接種に対応する。
令和3年(2021) 医療提供体制が逼迫する地域(東京都、大阪府、沖縄県)を支援するため、政府の要請により看護師を派遣する。
  • 昭和10年頃 渥美病院(JA愛知厚生連)
  • 昭和30年頃 佐久総合病院 病院祭(JA長野厚生連)
  • 昭和前期 安曇病院(JA長野厚生連)
  • 昭和前期 佐伯病院(JA広島厚生連)
  • 昭和10年 更生病院(JA愛知厚生連)
  • 昭和23年 塙病院(JA福島厚生連)